今回は、青ヶ島に移住して発電所につとめている角田さんにお話を伺いました!移住者の視点からも、お話を伺います。
お名前とご年齢を教えてください。
はい。角田崇史で、いま52歳になります。
家族構成を教えてください。
両親と兄弟は東京にいます。
出身は町田市で、昔から東京にいましたね。
高校を卒業されてからは、どんな道を歩んだんですか?
大学に行って、小さめの会社に就職して化学分析の仕事をしていました。
角田さんは移住者ということですが、青ヶ島には何年前に来られたんですか?
2018年ごろですかね。たまたま新聞で、青ヶ島の求人を見たんです。
「島に住んでみたい」とは思っていなかったんですが、島への旅は好きで。
例えば北海道の離島や沖縄の八重山の離島というところにも行ったことがあったので、まだ行ってないところに行きたいという思いがありました。
そんな時に求人が出てた青ヶ島は、知ってはいて関心はあったけど行ったことがなかったので、ちょうど転職も考えていたので応募してみようと思いましたね。
機械の維持管理をする仕事をしていた時もあったので、その経験が活かせるかなと思ったのもあります。
今、青ヶ島ではどういうお仕事をされてるんですか?
今、青ヶ島村の職員として、発電所で働いています。
具体的には発電所の管理です。発電所は、青ヶ島に電気を届けるところなので、24時間365日動いていて、交代で働いています。
青ヶ島に来るまでの苦労は、何かあったりしましたか?
発電所の仕事の選考は東京だったので、採用が決まって初めて青ヶ島にきたんです。
だから青ヶ島のことを調べてからきたり、後から調べながら暮らしていました。
たまたま新聞を見て求人に応募して、はじめて青ヶ島に来てみて、一番驚いたことはありますか?
逆に驚きはなくて、東京とほとんど同じだったという可能性もありますよね。
東京と実は感覚的に変わらないところもありますが、移動の方法がヘリコプターや船なのは少し大変かな。
ヘリコプターもなかなか予約が取れなかったりしますよね。
でも荷物なんかは、ネットショッピングでも1週間ぐらい待てば来るので、そこら辺は実は東京と変わらなかったりしますね。
早くて3日〜4日、台風がきたら10日後かも・・・という多少の不便はあるけれど、逆に面白いですね。
他の人とのコミュニケーションも、ネット上ですれば、今までネットでやり取りしてた人なんかは変わらなかったりしますしね。
発電所の仕事はみんなと時間がずれるので、青ヶ島の人ともTwitter経由でしている時もあります(笑)
青ヶ島の暮らしの中で一番楽しかった時間とか出来事など何かあったりしますか?
そうですね、晴れている冬場なんかは八丈島と八丈小島が遠くに並んで見えたりする時はいいなと思います。三原山も見えますね。
あとは夕方晴れていると、水平線上に夕日が沈んでいくところが見えたり景色が素敵ですね。
今アオガミライでは、青ヶ島の未来をみんなで考えていきたいと思っていて聞くんですが、移住者の視点もある角田さんは、これから青ヶ島にどうなってほしいと思っていますか?
青ヶ島の未来・・・例えば私と元々繋がりがあった友人は、いろいろなところに旅行に行ってる方なので、青ヶ島にきた時に案内したいと思っています。
そうやって青ヶ島を伝えたいなぁと。
ネットで繋がって、青ヶ島で初対面になるひとも出てくるかもしれない。
そういった友人が別の友人を連れてきて、繋がりが広がっていくこともあると思うんです。
青ヶ島には島民と一緒にいった方がいいような、ガイドブックに載っていないところもあるので、まだ自分も行けていないところがあるんです。
海に入ったこともないですし、そういうところを一緒に周ったら楽しそうですね。
いつまで青ヶ島にいようと思っていますか?
定年後どういうふうになるかはまだ未定ですが、それまではいようかなと思ってますよ。青ヶ島が性に合っているのかもしれないですね。
青ヶ島で仕事をしていても、3年ぐらいで帰っちゃう人もいるから、10年ぐらいはいようって思えるってことは、相当青ヶ島が合ってるってことですね。
どちらかというと来てみて、自分で合わせていくスタンスですかね。
もし青ヶ島を離れても、青ヶ島のことを伝えていきたいと思いますよ。
最後に一言お願いします!
コロナ禍など色々と落ち着いたら皆さんで青ヶ島に来てください!