佐々木祐治さん-後編

後編では、島に戻られてからのことや青ヶ島の未来についてなどを語っていただきました。

会社には高校卒業して入られたんですか?

そうです。港湾関係に入りました。
青ヶ島には、高校時代から「30歳ぐらいには戻ろう」と決めていて、今から4〜5年前の29〜30歳ぐらいの時に僕は島に戻ってきました。

なぜ30歳くらいで戻ろうと思ったのですか?

高校を卒業してすぐに島に帰ってきてもあまり意味がないと個人的に思っていて。
東京で色んなことやったり、
どんな仕事でも、そこで得た経験を青ヶ島に持って帰ってきたら、島の何かが良くなると思っていたので、東京で経験を積みました。
 

なるほど。青ヶ島にないものを東京で学んでそれを持ってくると。
それが大体30歳ぐらいだろうということを高校生ながら感じるのはすごいですね。
戻ってきた時はどういうお仕事をしましたか?

戻ってきた時は、土建業がほぼメインでした。
その時はまだ父が生きていたんで、漁業のことを教えてもらったり。
今も戻ってきた時と変わらず土建業と漁業。去年から村議員をやらせてもらってます。

お父さんが亡くなったのはいつですか?

戻ってきて1年後くらいですね。その1年間はしょっちゅう一緒に釣りに行ったりとかしてましたね。

お母さんがやられている民宿の由来である「かいゆう丸」という船にお父さんと一緒に乗って、一年間は一緒にいられたんですね。

そうですね。運がよかったです。一緒に釣りとか行って楽しかったですね。

民宿「かいゆう丸」は元々父が生きている時に建てようかと計画していて、工事が始まる時に、脳梗塞系の病気で急に亡くなってしまいました。その後は長女と次女が島に帰ってきて、母の民宿を手伝っています。僕はどちらかというと宿のお仕事にはあまりタッチしていません。
もし島に帰るタイミングが亡くなってからだったら、船の存続が厳しかったかもしれないですね。
1人だと乗り方など、中々分かるものではないので。
あの1年は本当に大事でしたね。
あれがなかったら多分、漁業をやってなかったと思うんです。

休日は今でもたまに釣りも。

休日とかちょっとやってますね。

釣りといえば少し前に、大きいカジキマグロを釣ったんですね。

釣れてラッキーでした。

因みにどのくらいの大きさですか?

42キロぐらいでしたね。
カジキマグロの中ではそんなに大きくはないですけどね。
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去年村議員として立候補されましたが、どういう思いから立候補されたんですか?

今の青ヶ島があるのって、色んな先輩達が島のためにやってきてくれたことだと思うんですよ。
僕も何か仕事だけではなくて、そういう部分でも頑張ってやってみたいなと思って、立候補しましたね。
それで僕も島に戻ってきた人間で割と若い人間なんで、若い人の考えとか、そういうのも知ってもらいたいなって気持ちがあります。
若い人に頑張ってほしいと思って貰えたのか、無事に当選しました。

アオガミライでは、青ヶ島の未来をもっと考えていきたいと思っています。ゆうじさんの考える課題はなんですか?

それなりに問題は色々あると思うんですけど、一番僕が考えてるのは人口が増えてもらって、みんなで楽しい青ヶ島になっていったらいいと思うんですよね。
だから僕は人口問題が一番心配。

こういう風にしていきたい、こういう場所になって欲しいってありますか?

青ヶ島は今、観光の面でもすごく注目してもらって色んな人が来てもらってるじゃないですか。
青ヶ島の人はアットホームな人が多いと思うので、道とかで会っても「観光で来たの?」とか話しかける人が多いです。
それってすごくいい面で、観光で来られた方にもいい思い出になると思うんですよ。
こうしたことを継続しつつ、誰が来ても「楽しい島だったな。」「いいとこだったな」って思ってもらえるような青ヶ島になってくれたら嬉しいですよ。

青ヶ島に住む人として、島のいい面、悪い面はどう思いますか?

いい面は先程言った通りアットホームなところと、星や自然的なところはいいと思うんですよ。
僕が思う悪い面っていうのは、伊豆諸島の中でも一番南で交通の便も正直不便なので、医療や老後が問題かなと思いますね。
例えば病気や怪我の時、今だったら緊急ヘリが東京から来るという形しか取れないから、一刻を争う時でもどうしても時間がかかってしまう。
贅沢な話を言えば、島に病院を作って、そこで処置がすぐにできれば、一命を取り留めることができる。
あとは老後についてで、青ヶ島に老人ホームみたいなとこはないですし、介護的なサービスも難しい状態ではあるんで、そういう所は解決していったら嬉しいなと思いますね。

いいところである青ヶ島の自然を残しながら、人口が増えすぎてしまうことに違和感はありますか?

青ヶ島の理想の人数は何人だというのが個人に寄っちゃうと思うんですよ。
僕は絶対何人だっていうのはないと思ってて、増えてくれたらなって思ってます。

最近移住で増えてきたのは、テレワークの人だと思います。
そのテレワークの人たちは、1〜3年くらいで島外に出てしまう人も多いかと思いますが、
そこに関してどう思いますか?

確かに青ヶ島に引っ越して、住民票も移してテレワークしている人もいますね。
他にも青ヶ島に今ある事業をやってみたいという人がいたりのどっちかだと思うんですよ。
僕はウェルカムです。
 
自分の仕事があるのはいいことだと思うんですよ。
青ヶ島に今、仕事がそんなにいっぱいあるかって言われると正直ちょっと怪しいですから。

青ヶ島で普段の1日の生活の中で、一番楽しいことはなんですか?

僕の趣味というか好きなことでもあるんですが、みんなでわいわいお酒を飲んで、しゃべったりとか。そういうのが楽しくて好きですね。
もちろん若い人と一緒にBBQしたりとか。島の先輩とかと飲んだりして、色んな話を聞けるのも楽しいです。

東京と青ヶ島どっちが好きですか?

やっぱり青ヶ島の生活が好きですね。

具体的にどういうところが?

そこを言葉で表現するのは難しいと思うんですけど、例えば鮭ってそうじゃないですか。
生まれた川に戻るでしょ。そういうところが僕にもあると思うんですよ。
この生活のスタイルが子供の頃からそうだからという部分もあると思うんですけど、単純にゴミゴミしてるのが好きじゃないんで。
東京で電車で通勤するのも正直合わなくて、通勤時間が長いというのが合わないっていうのはありますよね。
だから青ヶ島って変な意味、通勤時間がほぼない様なもんじゃないですか。
そういう面もいい面だと思います。
だからもうこれから東京で仕事するってことはないと思いますね。
このまま青ヶ島に死ぬまでいると思います。死ぬまでいます(笑)。
 

祐治さん個人で今後の青ヶ島の未来に向けてやりたいこととかありますか?

ゆくゆくの未来で実現するかは分からないですが、今兄弟も宿とかで頑張ってますけど、宿の系列的な感じで飲食店みたいなのもやってみたいですよね。
それが居酒屋や食事処になるのか分からないですが、そういうのができたら嬉しいですよね。
夢の一つです。
青ヶ島の美味しい料理をできるような場が東京か島でできたら面白いかなと思います。