佐々木祐治さんにお話をお聞きしました。
今回は前後編とで分かれており、前編では高校時代までのお話を伺いました!
お名前と年齢を教えてください。
佐々木祐治です。34歳です。
家族構成や親戚は?
姉二人と弟一人と母の家族。
親戚はいっぱい過ぎてよく分からないぐらいいます。
母方は10人兄弟だし、父方は5〜6人いるので、正直会ったことがない従兄弟とかもいます。
青ヶ島の60代の方とかはそのぐらい兄弟が多いです。
祐治さんが小さかった頃は、子供が多かったですか?
今の青ヶ島よりは多いですよ。
小中学校で1人のクラスっていうのもあったけども、逆に4〜5人のクラスもあって、1人のクラスっていうのは珍しかったですね。
今は結構当たり前みたいになっちゃってますけど。
僕は2人クラスだったので同級生は1人でしたね。
僕もその同級生の子も今は島に帰ってきていますね。
当時はどのような形で遊んでいたんですか?
同級生と遊ぶことはほとんどなかったです。
近い年代で遊んでいて、僕が小学生の時は中学生の人と遊んでもらいましたし、逆に僕が中学生になってから、小学生のみんなと遊ぶこともありました。
他の方は子供の時からお仕事を手伝っていたようでした。祐治さんはどうでしたか?
父が漁業などをやっていたので、お魚の箱詰めなどは僕もやってましたね。
家で家業をやってる子達はみんな、「家に帰ったらあれやらなきゃ」みたいなこともありましたね。
東京へはいつ行かれたんですか?
僕は高校に通うために東京に行きました。
青ヶ島だと中学校までしかないので、高校生活を送るためには島外に出なければいけません。
八丈高校に行く人もいれば、東京の高校に行く人もいます。
東京じゃなくてどこかの地方に行く人もいたりで、色々ですね。
その後、仕事は東京で探されてたんですか?
そうですね。その後は神奈川寄りの東京に住んでいました。
やっぱり海が好きだったので、本島の港湾関係、港で大きい船からコンテナを下ろしたりできる、海上に役立つ仕事に就職しました。
島の方に高校生の時は、アルバイトをして家賃や学費を払っていたというお話をお聞きしました。
祐治さんの時はどうでしたか?
僕らの時は憶測ですけど、親の力もあってか、兄弟が4人いましたけど、どうしてもアルバイトしなきゃ生活ができないって程ではなかったです。
僕も遊んだり、欲しいものがあるから勿論アルバイトしてましたし、寛さんの時とまたちょっと時代背景が違うというか。
島もだいぶ豊かになったんだと思います。
島から出てきての高校生活は、慣れないことが多かったですか?
東京にはちょこちょこ遊びに行っていたので、電車はそこそこは乗れました。
高校生になってから1人で初めて、銀行や役所に行った時はちょっとびっくりしましたね。
いまいちシステムが分かんなくて。青ヶ島には銀行がなくて、郵便局しかない。
郵便局に行っても、その窓口が長蛇の列みたいなことがないから。
東京だったらそれが当たり前の光景で、チケットを取って呼ばれるのを待つことが最初、理解ができなかったですね。周りを見ながら覚えました。
東京だと一気に同級生が増えたと思いますが、すぐ友達はできましたか?
普通にできましたね。
最初はやっぱり、何かみんなちょっと手探りっぽくなるから、その高校生活でも多分最初の友達と卒業する時の友達ってちょっと違いましたね。
卒業した時の友達とは、今でも交友関係が続いてます。
向こうで友達になった子が、高校生の時に青ヶ島に来ましたよ!